新居の近辺をスナップしたいという願望が目覚めた。
昔、ある本で写真家アラーキーさんが、
「近所をきちんと撮らないとね!」
と書いてあったのをふと思い出したのだ。
タイトルは
「CS」で自宅から情報発信をするコードネーム。
まぁ新住所の頭文字をとっただけだが。
Adobe IllustratorやPhotoshopのバージョン名と偶然一緒で、
職業柄リンクしている事もあり、何故か気に入った。
この場所からいろんな事をスタートしてみたい。
新しい風が吹いてきた気がする。
石田晋也より
「板橋区」を離れる事を予期していた昨年の冬、
ボクは幼少期にいた「高島平」に行ってみた。
昔はマンモス団地と言われていたこの街が、
高齢化社会に伴って住人が減り、今じゃデッドタウンと化してしまった。
そんな高島平団地をぐるりと流し、
駅北口から荒川の方に歩いていく途中にこの新河岸川がある。
子供の頃に、ここでよく鯉釣りをしたのを思い出す。
けどそれから20年以上経って、ボクの眼に見えるこの景色は、
何となく北朝鮮のような殺風景さがあったのだ。
高島平に来て、唯一ホッとさせたのが、
幼少期に通っていた屋台の焼鳥屋があり、
そのおじさんがボクの事を何となく覚えていてくれた事だった。
石田晋也より
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諸事情のため、
ボクは今月にこの「板橋区」を去ることになる。
思えば、幼少期から学生時代は「高島平」に住み、
それからは少し転々としたが、
28歳頃から現在までは「上板橋」に住んでいる。
まぁ人生で一番多く住みついた区ということになる。
最後に「板橋区」のどこを記念に撮ろうかと考えていたら、
廃校になった母校に行ってみようと思った。
それは一年半程前、17年ぶりに高校の同窓会があったから、という理由でもある。
実際に行ってみて、そこに立ちつくしてみた。
一瞬懐かしさもあったけど、シャッターを切った後はなんだか吹っ切れたのだ。
もう過去には戻れないし、過去に浸っている場合じゃないと。
帰りはなぜか「銀河鉄道999」を口ずさんでいた。
♪さあ行くんだ その顔を上げて
♪新しい風に心を洗おう
♪古い夢は置いて行くがいい
♪再び始まるドラマのために
板橋よさようなら。
そして、新しい風が吹くだろう。
石田晋也より
2009年2月某日、ボクは本牧ふ頭に立っていた。
海が見えて爽快な場所もあるが、
ふ頭の奥へ進入していくと、その考とは裏腹に不気味さが増し、
ひとりぼっちで取り残される感にとらわれた。
昼でこの感覚だと、夜に流したら一体どうなるのか。
それでも、大きなコンテナや船なんかを見ていると、
何だか少し童心に帰ってしまう、そんな自分がいた。
石田晋也より
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2009年2月某日、池袋から東武東上線で三つ目の駅で降りた。
ボクにとってはちょっと印象深い場所である。
それは約二年前に、近くにある日本大学医学部付属板橋病院で、
脂肪腫の為に10日ほど入院をしたからである。
全身麻酔をされた時は、死を覚悟していた。
けど手術が成功すると、何だかすべてがやり直せる気がして勇気づいたのだ。
この日は、命を救ってくれた街を流してみた。
「強かに生きる」と自分に言い聞かせている、今日この頃である。
石田晋也より
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